2018.12.11
水仙を主役に瓶花のお稽古。一般に、雪国ではチューリップやクロッカスと並び春一番に咲くイメージが強い水仙ですが、冬から春にかけて(12月~4月)が開花時期です。水仙には色々な種類がありますが、この日の花材は日本水仙(ニホンスイセン)と呼ばれているもの。日本の冠が付いているので、てっきり日本が原産と思いきや地中海沿岸から中国を経て日本に渡来し、関東以南の海岸などに野生化し群生しているそうです。
かつて研究会指導のため宇都宮からいらしたO先生は、厳しく凍てつく日の水仙の凛とした立ち姿に心惹かれたとお話しされたことがあります。私も見てみたいなァ・・・。花は小柄ですが品格があり、その香りも上品で思わずうっとりしてしまいます。
2018.12.4 & 11.27 & 11.13
暖かな冬の始まりに拍子抜けしたような気分でしたが、いよいよ本格的な寒さがやってきました。先日、こども教室の作品(季節の行事花)のヒントを探して街の中を歩き回っていた時、衝動買いで一人用の土鍋を手に入れました。これが『からっぽやみ』の私にはぴったりでとても重宝しています。『からっぽやみ』というのは、多分、北海道や青森、秋田の方言なのですが、私の解釈では標準語の怠け者にちょっぴり愛をトッピングしたようなイメージにとらえています。何故ならば、こどもの頃、祖父が私を叱る時に「この、からっぽやみ!」と怒鳴るのですが、その顔がニヤリとしていた記憶があるからです。
さて、一人鍋焼きを頬張る目の前にある小さな一輪挿し。ここにはお稽古の残り花をチョコンと挿すのですが、これが我が家の食卓のトッピングになっていて、からっぽやみじゃなくても癒しの効果、抜群です!
2018.10.16 & 11.6
植物が本来持っている力は凄いと思います。何か喋るわけではなく訴えるわけでもなく、しかし、確かに私たちに語りかけるものを感じます。この感情は何だろう?
2018.9.26 & 10.2 & 10.9
21年前のことですが、ペルーを旅しました。目的はアンデスの山旅です。本番の登山前に高度順応のため標高4000m超の登り下りを3日間ほど繰り返しました。その時に出会ったのが紐鶏頭(ヒモゲイトウ)です。お花屋さんの店頭では、アマランサス(ヒユ科植物の総称)と呼んでいます。ハイキング・トレイル上にある村の畑(?)に植えられていました。「これをどうするのか?」と尋ねると「食べる」とのこと。古代インカの時代からの重要な食糧で主食とのことでした。10/9にKumikoさんがいけた紐鶏頭を見て思い出しました。
言葉の壁があるため細かなことまでは聞くことができませんでしたので、今回もう一度調べなおしてみましたらやはり彼らの説明の通りでした。種子を雑穀として食べるようです。キヌアと同じように高栄養価の雑穀でスーパーフードと期待されているとのことでした。
もうひとつ。今年は我が家の木瓜に随分立派な実がいくつも生りました。そこで、みんなで実付きの木瓜を使用して色々なタイプのお稽古をすることが出来ました。季節限定の花材です。
2018.9.18
9月6日に発生した大きな地震(北海道胆振東部地震)には、とても驚きました。現在もなお、ご苦労されている方々がいらっしゃることを思うと心が痛いです。
北海道中が真っ暗闇となったその日、午前3時の夜空は満天の星でした。まるで深い山の上で見上げているような本当にきれいな星空でした。おそらくはタンスの上から落ちたであろうものが飛び起きた私の右肩に当たり、掛け時計が落下し、本棚が倒れ散らばった書籍はそのままなのに、ベランダからはこんなに無数の星が見られるのかと奇妙な気持ち(地上ではとても大変なことが起きているのに、これは本当は夢なのか現実なのか?)になりました。
2018.8.28 & 9.4
8/28この日、届いたヒオウギは、橙色に赤い斑点の鮮やかな花と緑色の実、両方が楽しめる状態です。葉の様子も力強く躍動感があります。北海道では見かけたことがありませんが、本州などでは山野や海岸などに普通に生育しているようです。お稽古花には滅多に入ってきませんので(この日はタイミングが良かったのかな?)、主役にして据えてみました。花は一日花で翌日には散ってしまいますが、次々と咲きそうな蕾がたくさんついていましたので整理する蕾を敢えて加減して楽しむこととしました。
9月になって、ナナカマドが色づき始めました。ヨウシュヤマゴボウは、ようやく青く実が付いた様子でこれから次第に黒く熟してくるのでしょう。どちらも初秋の空気が澄んだ風情です。
2018.8.21
2週間の夏休み(お盆休み)が終わり、お稽古開始です。今年の夏は天候不順で、高温多雨。各地の災害をテレビで目の当たりにして心が痛みます。作物の生育にも大きな影響がありそうです。私たちも花栽培農家さんが大切に育ててくれた花材を使用するので、天候がとても気になります。こうして当たり前のように向日葵や竜胆、鶏頭などいかにもそれぞれの季節を感じさせる植物に触れることができるのは幸せなのかもしれません。
2018.7.24
「暑い、暑い!」と言っていてもそこは北国、夕暮れともなればむしろカーディガンを羽織りたくなるような涼しさです。
それでも真夏のいけばなに珍至梅は良く似合います。清楚で小さな白い花が無数に咲き、爽やかさをふりまきます。いけばなでは珍珠梅(チンシバイ)または珍至梅と呼ぶことが多いのですが、ニワナナカマドが正式名称です。
2018.7.10
Tamikoさんがいけたのは、どこかで何度か見たようなツャッツヤの葉が特長の枝もの。ソフトクリームのような捻じれた蕾がいくつも付いていました。花が咲くと分かりやすいのに・・・。でも、北海道ではあまり見かけないなッ。
「何でしたっけ、コレ?」とお花屋さんに確認するとクチナシとのことでした。クチナシと言えば、やっぱり口ずさんでしまうのは、
いまでは指輪もまわるほど やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまでついてくる
くちなしの白い花 おまえのような 花だった・・・♪
嗚呼、思い切り昭和の雰囲気です。そこで、花の香りを確認しようと鼻を近づけて一生懸命嗅いでみたのですが、開花していないからでしょうか、ほとんど匂いを感じません。旅路の果てまでついてくるような芳しい香りをイメージして、みんなで嗅いでみたのに。
調べてみましたら、日本の西南から中国、台湾、インドシナ半島などに自生しているようです。万葉の和歌にも詠まれているのですから昔からポピュラーな花木なのでしょう。
2018.6.26 & 7.3
先日、ワールドカップに出場したサッカー選手たちが帰国しました。このすがすがしいほどの爽やかさ、誇らしげではあるが淡々とした様子にこちらまで気持ちが良くなりました。およそアスリートには程遠い私でもこうなのですからファンにとってはなおさらのことでしょう。
さて、スポーツとは全く異なるいけばなですが、実は同じような感覚を持つことがあります。同じ花材であっても私たち一人一人の顔が違うように、当然同じ花、枝はありません。ゆえに学びがあり苦心があります。花材とのコミュニケーションが上手くいき、作品ができあがった時のすがすがしさは格別です。
2018.6.12 & 6.19
このところ資料作りや花展の準備に追われ、当ホームページの更新をなかなかできずにいます。ちょっと手を抜いたようで心苦しいのですが、溜めてしまうと滞ってしまいますので、とりあえずできる範囲で写真をupしていきますね。
2018.5.29 & 6.5
2018.5.22
日差しがとても暖かです。久しぶり窓を開け放ちたくなるような気持ちの良い陽気です。しかし、今週は黄砂の予報(北海道はさほどではありませんが)が流れています。中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で発生した砂塵が気流や風に乗って海を渡り日本に飛来します。普段の生活では自動車の上に降り積もった砂を見て『これがそうか』と感じる程度ですが、この気象現象が場合によっては環境問題を含んでいて厄介な社会問題になっているようです。反面、生物の生育に寄与するミネラルなどを含んでいて重要な役割を果たしているという調査、報告があります。しかし、私にしてみれば、人々のいさかいや国境に関係なく見も知らぬ遠い国の砂が風に乗って飛んでくることに人(科学)の力の及ばない地球の自然現象の大きさとロマンを感じ、むしろ親しみや滑稽さを感じてしまいます。
ちょっと堅い話になり過ぎましたね。
2018.5.8
久しぶりに訪ねてくれたHirokoさんが一緒にお稽古です。まずはひらくかたちで感覚を取り戻しながらいけてみることにしました。以前と変わらぬ良いセンスです。体調をみながらゆっくりとお稽古していきましょうね。
2018.5.1
今週、札幌の街はどこもかしこも桜が満開です。何時もお稽古している東月寒会館二階の窓からは手の届きそうなところに桜が見ごろを迎えました。華やかなピンク色を見ると、パッと気持ちまで晴れるような心地です。桜をまじかに観察したい方は、上記写真をクリックすると大きく拡大してご覧になれます。普段は見上げる桜の花が目の前に咲いているように感じられます。
Chiakiさんのお稽古は、盛花傾斜型に進みました。
2018.4.24
この日はどちらの花材にも芍薬(シャクヤク)が取り合わせてありました。主役は勿論この芍薬です。
芍薬と言えば、私が真っ先に思い浮かぶ言葉は『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』。ご承知の通り美しい女性のたとえです。しかし、この頃はあまり聞かれないので、現代の若い方々には使われなくなったのでしょうか?
さて、この芍薬の根の部分は古くから生薬として知られ、私も時々お世話になる芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)をはじめたくさんの漢方薬があります。芍薬の成分はイライラした気分の解消にも役立つそうな?
2018.4.10 & 4.17
4月上旬、東京・横浜でたくさんの桜を目にしました。山桜は散り始めていましたが、遅咲きの八重桜は丁度見頃で、とても美しかったです。街を歩きながら感じたのですが、青春時代を過ごしたその街並みはそれ程変わっているようには思われませんが、これほど見事な桜の印象はありません。まるで空気や水のように日常の中に当たり前に存在していたということでしょうか。ふと、今現在の身の回りを考えてみます。意識せずその大切さに気付いていないことがありはしないかと。
間もなく札幌でも桜が咲き始めますので、今年は2度も春を楽しめそうです。
2018.3.27
このところ各局の報道は、毎日、桜の開花を知らせてくれます。東京は今週いっぱいが見ごろのピークを迎えるとのことです。この調子でいくと、札幌も4月末には開花宣言がされるかもしれません。さて、春の花木を詠んだ和歌は、桜や梅などたくさんあります。しかし、残念ながら連翹を詠んだものを私は知りません。連翹は中国原産とのことだからでしょうか。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」 作者/在原業平(ありわらのなりひら)古今和歌集
上野公園でのお花見の場所取り騒動をニュースで目にしました。千年以上も前の和歌が現代の社会にも通じます。もしも今、在原業平が生きていたなら今の日本を何と詠むのでしょう。
一体、桜がどうしたというの?と、思ってみたりもしますが、かく言う私も週明けに上京の予定で、お天気が気になります。
「桜よ、どうか来週まで散らないでいて!」
2018.3.13 & 20
例年よりも早い春の訪れです。急激かつ記録的な暖気で桜前線も順調に、と言うか速度を増して北上しているようです。我が家周辺の雪解けも一気に進みました。とりわけ今日(3/29)は暖かな日和なので、庭の草木の雪囲いを外しました。ネットと縄で巻き付けられていた石楠花(シャクナゲ)は、5ヶ月ぶりにようやく手足を伸ばし、自由になった枝が嬉しそうです。厳しい冬の寒さを耐え抜いた木々の冬芽は、これからが出番です。
2018.3.6
ラナンキュラスは、キンポウゲ科の植物です。蕾が膨らみ開花すると結構なボリュームがあり、バラのような存在感です。調べてみたら西アジアや地中海沿岸が原産地とのことです。また、ラナンキュラスの「rana」とはラテン語でカエルという意味だそうで、葉の形がカエルの足に似ていることから命名されたとのこと。次に出合った時は、もっとよく葉を観察したいと思います。
さて、同じキンポウゲ科キンポウゲ属の野草は北海道の野山でよく見かけます。花は少し小さいですが黄色い5弁の花びらが緑の中でよく目立ちます。ウマノアシガタ、キツネノボタン など一度聞いたら忘れられない面白い名前の植物です。
2018.2.27
新しい年が明けたと思っていたらもう三月。北の街サッポロはまだまだ雪の中ですが、それでも二月とは大きく違いどこかしら春めいた空気です。真っ白な雪の下の大地ではしばしの眠りについていた生物がそろそろ目覚め、もぞもぞとして春の訪れを待ちわびていると思い、想像するだけで嬉しくなります。
秋の紅葉は趣がありますが、芽出しの頃の枝ものも生命の息吹が感じられ元気が出ます。
2018.2.20
平昌オリンピックが閉幕して、ちょっと気が抜けたような感じの日々です。テレビでの観戦でしたが、連日様々な競技に熱い声援を送り続けました。実際「スポーツは筋書きのないドラマ」という言葉がぴったりと当てはまるような展開に、息を飲んで見守りました。芸術であれスポーツであれ、心のこもったいいものには誰もが感動するのですね。
さて、お稽古の合間にそんな話題もありましたが、ここでは静かな時間が流れます。育ち盛りのChiakiさんは金葉こでまりの枝を伸びやかに瓶に、Kumikoさんは雪解け後の里山の野アザミを連想させる写景盛花、Tamikoさんは自由奔放にくねくねとした雲竜柳を生かして皹寧窯礎花瓶に小品花のお稽古です。枝の調子を見て逆勝手でいけたので難しかったと思いますが、いけ終えた後は、それぞれに気持ちの良い笑顔が弾けました。
2018.2.6 & 2.13
柳は何処にでも生えている木です。特に石がゴロゴロとしている川辺など、他の植物が生育しにくい環境にもいち早く適応して芽生えるようです。ですから札幌市内の川のあちこち(例えば豊平川や発寒川などどこでも)に見かけられます。いけ終えて残った枝を水に入れておくと、知らぬ間に枝から根が生えていることはちょくちょくありますよね。そうです! 挿し木が容易にでき、比較的成長の早い植物です。
さて、行李柳(コリヤナギまたはコウリヤナギ)は、私にとって馴染みの深い樹木です。と言うのは、子どもの頃、我が家の押し入れの中には大きな衣装行李(いしょうこうり)がありましたし、年に二度ほど配置薬を取り換えに来る薬屋さんは薬行李(くすりこうり)を使用していました。ロシアのマトリョーシカのように行李の中に行李が入っているのが不思議でした。そして、大人になって山歩きをするようになり、私のザックには程よい大きさの飯行李(めしこうり)が。これは特に気に入っていて手入れしながら長年にわたり愛用していました。
素直に真っすぐ伸びた行李柳の枝を見るたび、昔(調べたら柳行李(やなぎこうり)は奈良時代からあったようです)の人の知恵と技に驚くばかりです。
2018.1.30
我が社中、ただ今売り出し中のChiakiさんは、お稽古するごとに上達が感じられます。お稽古を始めて間もなく6ヶ月になりますが、一緒にお稽古しているTamikoさんやKumikoさんというベテラン選手が温かき良きアドヴィザ―となってくれています。最近話題の相撲部屋ではありませんが、社中も一つの家族のような一面があり、親子や姉妹といった具合です。これも昔ながらの極めて日本的な伝統なのだと思いますので、大切にしながらかつ適度に現代的な感覚もプラスして、お互いに切磋琢磨しながらいけばなを楽しみましょう。
さて、久しぶりに登場したのはMichiyoさんです。会えなかった間のエピソードなどをお話ししてくれて、お稽古後のお茶の席を盛り上げます。
2018.1.23
大相撲初場所で栃ノ心が優勝しました。実は私は密かに応援していた一人です。しかし、このように脚光を浴びるまで出身地のジョージアと言う国を知りませんでした。2015年4月まではグルジア(これは聞いたことがありますね)と呼ばれていた国だそうです。
今日、たまたま観ていた夕方のワイドショーでは祖国で応援している家族や親せきが映っていました。生後二か月の赤ちゃんも映っていて、名前は、なんとアナスタシアちゃん。日本名にしたなら菊ちゃんということでしょうか。日本には例えば百合ちゃん、すみれちゃん、さくらちゃんなどの名前もポピュラーです。国は違えど同じ感覚なのかなァと、急に親しみを感じてしまいました。
かつて高校生の頃、意気込んで外国の小説(確か、風と共に去りぬだったかな?)を読み始めたのにカタカナの名前や地名が次々に登場して頭の中がぐちゃぐちゃになり断念した経験がありますが、彼女の名前はしっかりとインプットしました。きっとアナスタシアのようなシャンとした気品のある女性に成長することでしょう。
2018.1.16
北海道新聞2018年1月10日朝刊『卓上四季』に学んだ。以下に引用。
「千里の道も一歩から」と言うがその一歩がなかなかな踏み出せないこともある。大きな目標を揚げようとしても、その困難さに腰が引け、失敗したらと不安が先立つ。そして「どうせ無理だ」と、はなから諦めてしまう▶けれど、この人は「難しいからこそ面白い」と言う。単独徒歩、無補給で南極点に到達した上川管内鷹栖町の冒険家荻田泰永さんだ。成功したのは日本人初、世界でも二十数人の快挙である・・・・・・▶気が遠くなりそうな壮大な挑戦だ。荻田さんは「諦めず、妥協せず、ただ一歩一歩、踏み出し続け」た末、南極点に到達した。「小さな一歩を重ねれば、どんな遠くにでも行ける」とも話していた▶「便利」や「素早く」「スマート」がもてはやされる時代だ。しかし、荻田さんの活躍を見ていると「一生懸命」や「努力」といった言葉が、何やら輝いて見えてくる▶新しい年を迎えて、誰もが自分なりの目標を抱いていることだろう。・・・・・・不安でも、くじけそうなときでも、勇気を出して一歩を踏み出す。荻田さんがその大切さを教えてくれた。